「ヌードルライター」と「製麺所代表」、二足のわらじを履いていざ、人生をゆく。
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「ヌードルライター」と「製麺所代表」、二足のわらじを履いていざ、人生をゆく。

new work style

福岡を拠点にフリーランスのライターとして活躍する山田さんは、約10年前から「1日1麺」を合言葉に、うどん、ラーメン、そばなど、様々なジャンルの麺を食し、その都度ブログにレポートをアップ。現在は「ヌードルライター」として活躍しています。

そんな山田さんが、なんと2019年からは、製麺所の代表として新しい人生の舵を切ることに。「食べる側」から「作る側」へ。そこにはどんな思惑があったのか。今まさに、ワークスタイルの転換期を迎えている中で話を聞きました。

商売人に憧れて

クリエイティブな業界とは真逆に位置するような製造業の代表として、これから商売の道を歩み始める山田さん。その考えは、すでに大学時代からあったと言います。

「実家が製麺所を営んでいるんです。今は父と母、2人でやっている小さな製麺所ですが、地元に根付きながら商売をしてきた姿を見て、物心ついた時から『自分もいつか商売をやりたい』 と思っていました。大学生の頃から、もし将来、自分が勤めた会社のトップが方針を誤った時、その道連れになるのは嫌。自分の責任で何かをしたいという独立願望が強かったんですね」

そこで大学時代からファーストフードのチェーン店でアルバイトを開始。「店を回していくこと」に興味を持ちながら勤務するうち、店長代理を任されるように。

「店を回すことは面白かったのですが、4年生になると就職活動を始めました。当時は服が好きだったのでアパレル業界に進んでみたいと。するとバイト先のマネージャーから、『アパレル業界も飲食業界も、お客様にお金をいただいて満足を提供する点では似ている。アパレルで0からスタートするよりも、ある程度経験のある飲食業界で成長する方が面白いのでは?』と。それも一理あるなと就職活動を止め、推薦をいただいてバイト先の社員になりました」

見聞を広げるために、ライターへ

アルバイト時代も含め、約4年半を飲食業界で過ごした山田さん。「商売人になる」という大きな夢は変わらないものの、「もっと別の世界を見てみたい」と思うように。そこで会社を退職し、別の道を模索し始めます。

「たまたまハローワークで、編集プロダクションのライター募集を見つけたんです。当初、実家を継ぐことは全く考えていなかったので、ライターとしていろんな店を取材させていただけたら、将来自分が商売をする時のヒントが得られんじゃないかと思って。言わば「スパイ目的」ですね(笑) 。実際、情報誌の取材でいろんな店を取材させてもらったり、東京の出版社からの仕事でファッション誌の福岡レポートを担当させてもらったり、とてもいい経験をさせてもらって。そのうちに『ライターとして独立できるんじゃないか?』と思うようになったんです」

挫折、そして二度目のスタート

挫折、そして二度目のスタート

約4年半勤めたプロダクションを経てフリーランスになった山田さんは、ライターとして活動しながら、当時、卸売を中心にしていた実家の製麺所の通販事業の立ち上げにも手を挙げます。

「自分ならできると。でもそれが、全く上手くいかなかったんです。さすがにライター業はそこそこやれると思っていたのですが、甘かったですね。通販事業もウェブサイトまでは作ったんですが、ライターの仕事で締め切りが迫ってくると放ったらかしになって、結局、どちらも中途半端に。そんな時、ライターの先輩にくすぶっていることを打ち明けたら、「今度、事務所を立ち上げるから一緒にやってみないか」と声をかけていただいて。そこで再び事務所所属のライターになりました。でも、ここでも全然ダメで。長文が書けない。語彙が少ない。とにかくスキル不足でした。そこでライターとして1からやり直すつもりで、基礎から徹底的に鍛え直していただきました」

思いがけず、麺ライターへ

思いがけず、麺ライターへ

アドバイスを受けながら、ライターとしても信頼されるようになり、再び様々な媒体で活躍するようになった山田さんに、ついにその日がやってきます。

「事務所の先輩は、東京でもバリバリ仕事をしてきた方だったのですが、『ライターを続けていくなら自分に“色”を付けた方がいい』。さらに『山田くんは製麺屋のせがれなんだから、麺についてブログでも書いてみたら?』と。正直に言うと、それまでの僕は決してグルメではなく、自分が好きな店に行って食事ができれば満足なタイプ。でもそこからは、「1日1麺」を合言葉に動くようになりました。そして2年くらいすると、雑誌で麺の特集を作るのでやってみませんか?といったお声がけをいただくようになり、その頃から『ヌードルライター』と名乗り、顔出しもして仕事を受けるようになったんです」

自分をブランディングする

自分をブランディングする

その後2度目の独立をし、「ヌードルライター」として順調に仕事のキャパを広げてきた2015年、山田さんは著書「うどんのはなし 福岡」を自費出版します。ラーメンではなくうどん、ガイドブックではなくストーリーを重視したアーカイブ。これまでもあるようでなかった本は、評判を呼びます。

「制作費は、妻と相談して家計から捻出し、編集から取材・執筆、表紙以外の撮影はすべて自分で手がけました。これがすごく楽しくて。仕事の場合は発注先のリクエストにきっちり応えなければならないし、その分、原稿を書くのにも時間がかかります。でもこの本は文体も写真もすべてが自分の思いのまま。ほぼストレスなく書き上げることができました。さらにこの本を出してからは、このテイストを好んでくださるところからの仕事が増え、原稿に費やす時間は減ってもギャランティはアップ。ライターとしての仕事の流れが、ここで一気に変わった気がしましたね」

自ら、麺を作りたい

自ら、麺を作りたい

自分の個性を生かしながら、フリーランスとして活躍するポジションを手中に。同じ頃、山田さんの奥さまは、自身がずっと夢見てきたうどん店を開店させます。そして、夫婦二人三脚で新しい道を歩き始めることに。

「妻は、いつかカフェを開きたいと自らコツコツ開業資金を貯金してきた人。でもある日、僕の実家の製麺機を見て『うどん屋になる』 と決意し、和食店に修行に出て、さらに福岡の有名なうどん店でも働いて、2016年に福津市でうどん屋「こなみ」を開いたんです。とにかく研究熱心で、僕が言うのもなんですが彼女が作るうどんは本当に美味しい。いいお客さんにもたくさん付いていただきました。

《山田さんが「一番好きなうどん」と教えてくれた「こなみ」のうどん》

麺は、僕の実家の麺を使っているので、店も本当は近くに持ちたかったのですが、いろいろと条件が合わずあきらめたんです。それで福津市で「こなみ」を開業したのですが、トラブルに巻き込まれて営業できなくなって。そんな時、父から『製麺所の隣でやれば?』と勧められ、一度閉店してリニューアルすることになりました。ちょうどここ2,3年、僕も少しずつ『商売=麺』という考えがまとまっていましたし、 何より、妻のうどん店のファンとして、もしも実家の製麺所がなくなってしまったら大変なことになる。『自分が麺を作りたい』と、実家を継ぐことを真剣に考え出していたんです。そして父と商工会議所に相談に訪れた時、タイミング良く、中小企業の事業継承に補助金が出る制度を紹介していただいて。『これは今しかない』と、計画書をまとめて提出しました。無事に受理され、2019年秋に父から僕が事業を継承。できれば秋のうち、遅くとも年内には工場をリニューアルし、妻の店も工場内に移転することが決まりました」

日本で唯一の存在を目指して

日本で唯一の存在を目指して

製麺所の代表として、しばらくはその分野に専念。ライター業は、できる範囲に留めて活動していく予定だそう。

「今回の事業継承は、継ぐ事で、化学変化が生まれることを期待されて計画されたもの。僕も製麺の技術は受け継ぐけれど、暖簾をそっくりそのまま受け継ぐ訳ではないんです。つまり、全く新しいものを立ち上げるということ。これからの製麺所は、どうあるべきなのか。それを今、必死で考えています。なのでしばらくはライター業を控え、経営業に専念しますが、少し落ち着いてきたら、また文章も書いていきたいですね。製麺所の代表の文章がめちゃめちゃ上手い!とか、面白いじゃないですか。僕はこれまで「ヌードルライター」という、日本でもおそらく唯一の肩書きでやってきましたが、今度はそこに「製麺所の代表」が加わってさらに付加価値が高くなる。「製麺所の代表でヌードルライターが作る○○」となると、それも唯一無二のものになります。僕は戦うことが苦手なので、常に人とは違うところに身を置いてきたように思うんですけど、その、半身ずらす感じが逆に、自分らしさを作ることに繋がったんじゃないかと、今になって思いますね」

お金について、語るなら

語り口は穏やか。常に自分のことを冷静に受け止められるように感じる山田さんだが、気になるのが、お金との付き合い方。自らのポリシーは?

「大学時代は、ベルギー・アントワープのデザイナーものとか、裏原系とか古着とか、とにかく服が好きで。さらに音楽も好きだったので、アルバイト代は全てそこに注いでいましたし、ライターになってからもお金に関してはかなり無計画で…。一時期、妻に指導をいただくこともありました(笑)。買い物は今でも好きですが、子どもも生まれたので素材感が気持ちいいとか、高くても長く使えるもの、ブランドのコンセプト・理念に惹かれるものなど、自分で納得できたものしか買わないようになりましたね。

でも、「いいもの」に囲まれると気分も上がるし、何事にも前向きになれるので、例えば今回の製麺所のリニューアルでも機械や道具を一新し、自分自身に気合を入れるつもりです。うまく表現できるかわかならいのですが、僕は、「作るもの」と「作る人」って、リンクしていると思うんです。例えば、しゃきっとしたシャツを身につけている人の作る料理は美味しいだろうな、とか。店の内装の雰囲気やすべてにおいて、「気が利いている」ということは、商売をやっていく上でとても大事なことなのではないかと。なので、決して背伸びはしなくとも、お金をかけるところにはきちんとかけて、僕という人、作るものを信頼してもらえるような雰囲気を作っていきたいと思います」

《30年、活躍してくれた製麺機に感謝を》

ヌードルライター  山田祐一郎

ヌードルライター  山田祐一郎

1977年、福岡県生まれ。大学時代からファーストフード店でアルバイトをし、そのまま同企業に就職。その後、編集プロダクションを経て独立。「ヌードルライター」として日々、様々な麺を食し、発信し続けている。2019年秋からは宗像市「山田製麺」代表として、製麺業に従事する。

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