神社とアートをつなぐ、太宰府天満宮の学芸員の仕事とは?
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神社とアートをつなぐ、太宰府天満宮の学芸員の仕事とは?

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「神社」と「アート」。一見関わりがなさそうに見えるが、福岡県にある太宰府天満宮は、世界の名だたる現代美術家たちが作品を制作する「太宰府天満宮アートプログラム」を行っている。彼らと神社の仲立ちをしているのが、学芸員のアンダーソン依里さんだ。彼女がどのような経緯で現職に就いたのか、なぜ太宰府天満宮はアーティストたちを惹きつけるのか、さらに彼らとどのように作品をつくっているのかを取材した。

Q.アンダーソンさんは、なぜ学芸員の道に進もうと思ったのですか?

Q.アンダーソンさんは、なぜ学芸員の道に進もうと思ったのですか?

大学生のときに、イギリス旅行で訪れた博物館を「いいな」と思ったのが最初でした。それから大学で学芸員資格を取得するための勉強を始めて、実習で太宰府天満宮にやってきました。ありがたいことに学芸員として採用していただき、3年間勤めました。当時はまだアートプログラムは立ち上がっておらず、天満宮の宝物殿は歴史的な文物を収めた場所でした。

働くうちに、大勢の外国人観光客の方がいらっしゃるのに英語ができないことにもどかしさを感じ、さらに出身地である太宰府で働き始めたことで外の世界を知りたい気持ちに駆られて、一度天満宮を出て外国で学ぼうと決め、イギリスに行きました。

Q.イギリス留学では、どのようなことを学んだのですか? その経験は、いまどんなふうに活きていますか?

Q.イギリス留学では、どのようなことを学んだのですか? その経験は、いまどんなふうに活きていますか?

最初に通った語学学校は、一度社会人経験があって留学してきた人が多く、みんな「絶対しゃべれるようになるんだ」という意思に満ちていました。問題意識も高く、照れることなく一生懸命な姿勢に、強い影響を受けました。大英博物館に押しかけて、来館者調査の手伝いをさせてもらったりもしました。

せっかくイギリスにいるので、語学以上の勉強をしたくて、エセックス大学で美術史学科の「ギャラリースタディーズ」を学びました。イギリス人と留学生が混在する修士課程で、平日は講義を受け、週末は実際に美術館を回って批評をするという、ハードな日々。さらに学位を得るために、展覧会を実施するという課題が課されました。イタリア人2人、アメリカ人1人と私で、「音をテーマに、一から展覧会をつくる」という企画をし、カタログやポートフォリオまで制作しました。

この時、多様なバックグラウンドを持つ人たちと、企画を話し合い、実現の可能性を探り、形にしていくという経験をしました。大変なこともたくさんありましたが、最終的になんとか形にするという経験は、現在の天満宮での仕事にとても役立っています。

Q.その後帰国して、田川市美術館で学芸員をしていらっしゃったのですよね。

福岡県田川市はかつて炭坑の町として栄えた歴史があり、当時から坑内や風景が多く描かれるなど、市民が美術と触れ合う文化的に豊かな風土がありました。所蔵作品の展示の他、とにかくアイディア勝負で企画を行っていました。子どもが好きな絵本の原画展を開催したり、地元の人達と一緒に出前授業に行ったり。炭坑の町の特性を生かして、ぼた山に登り、そこでアーティストと作品をつくるというシリーズも好評でした。美術館の外の人を巻き込んで展示をすることの楽しさを知りましたし、来てくれた子どもから「学芸員になりたい!」と言われたのもうれしかったですね。

8 年半ほど勤めた後、太宰府天満宮から「アートプログラムを手伝って欲しい」と声をかけていただきました。

Q.そして、太宰府天満宮でキュレーションを始められます。まず神社とアートの関係を教えて下さい。

Q.そして、太宰府天満宮でキュレーションを始められます。まず神社とアートの関係を教えて下さい。

太宰府天満宮は、菅原道真公を御祭神としています。道真公は、学問の神様としてはもちろん芸術や芸能の神様でもあります。神社という場所は、それぞれの時代のアーティストたちが、書や絵画、踊りや歌などの芸術を神様に奉納し続けてきた場所でもあります。

「太宰府天満宮アートプログラム」は、アートが奉納される場所として、神社には現代でも大きな役割があるのではないか?という問いのもと、2006年から行われている試みです。これまでに日比野克彦、小沢剛、ライアン・ガンダー、ピエール・ユイグなど、素晴らしいアーティストが参加してくれています。

私が驚いたのは、このプログラムを動かしているのが、西高辻信宏宮司を始めとする神主さんたちだったこと。アーティストとどんな作品をつくるかを話し、現地を見てもらい、制作に必要なものを準備するという、美術館であれば学芸員が担当することを、アートの専門家ではない神主さんたちがサポートしていました。声をかけていただいて光栄だと思う一方、「すごいところに帰ることになるな」と思いました。

本当にキラキラするけれど何の意味もないもの
Really shiny stuff that doesn’t mean anything
©Ryan Gander, 2011
Courtesy of TARO NASU
Photo by Yasushi Ichikawa

歴史について考える
The Problem of History
©Simon Fujiwara, 2013
Courtesy of TARO NASU
Photo by Sakiho Sakai (ALBUS), Junko Nakata (ALBUS)

Q.これまでに錚々たるアーティストが天満宮を舞台に作品を発表しています。これはなぜだと思いますか?

まず神道そのものの懐の深さに理由があると思います。「アートプログラム」では、既存の作品を展示するのではなく、天満宮を実際に訪れて神社や神道のことを理解し感じた上で、新たに作品をつくってもらうのですが、アーティストによって、例えば「目に見えないものをみんなが信仰している様子」や「神様の気配を感じながら振る舞われる儀式」など、様々なことに関心を持ち、テーマにします。

例えばイギリスのアーティスト、ライアン・ガンダーは、「神道クエスチョン」という、神道に関する10の質問に来場者が応える、とてもコンセプチュアルな作品を作りました。例えば「神道に匂いや音があるとすれば、それはどんな感じですか?」「あるべきだと思うけれど、まだ存在していないお守りはありますか」といったアーティストからの質問に答えようとすると、必然的に「神様とは」「日本とは」といったことに思いを馳せることになる作品です。

写真家のホンマタカシさんは、神幸式大祭での神様をお神輿に移す所作を、「まさにコンセプチュアルアートだ」とおっしゃいました。

私はアーティストが作品を生み出す場面に伴走する経験をするたびに、彼らの深くものを感じ、考え、コンセプトを形にする能力に感動してしまいます。

アーティストたちが天満宮に興味を持って作品を制作してくれるのは、天満宮の職員の、アーティストへの深い尊敬も後押ししていると思います。それは、アーティストの眼を通して、知っていたはずの天満宮の意味を再確認したり、知らなかった側面を発見したりすることで、自分の意識そのものが変えられる経験をしてきたからでしょう。

さらに漫画家や陶芸家など、多様なアーティストとも展覧会を作っています。いずれもそれぞれの切り口から、天満宮を切り取り鮮やかに見せてくれます。

様々な展覧会を通して、アーティストと天満宮で働いているみんなが協力して、「天神さま」を編集し直しているのだと思います。そしてそれは、今がたまたま現代アーティストが取り組んでいるというだけで、これまでも神社が多くの芸術家たちとともに繰り返してきた営みだと思うのです。

2018年「太宰府、フィンランド、夏の気配。」より、津田直「辺つ方 (へつべ) の休息」会場記録

2018-2019年「応天の門展」会場記録

Q.これからの展示の予定を教えて下さい

最新の「アートプログラム」としては、2020年10月4日からニューヨーク在住の日系アメリカ人MIKA TAJIMAの展覧会を行う予定です。彼女も、人の気持ちを驚くような手法でコンセプチュアルに見せてくれる、優れたアーティストです。

6月18日からは、フラワーアーティストであるニコライ・バーグマンの4 回目の展覧会を開催します。ニコライも毎回、神社という舞台を自由に、けれど本質を明らかにする形で展示を行っていて、多くの人が楽しみにしてくださっています。

また2021年には「日本におけるセゾン・フランセーズ」の一環で、天満宮を舞台にフランスの最先端の文化を伝える展示も行われる予定です。

太宰府天満宮を舞台に、アーティストがどんな切り口を見せてくれるかがとても楽しみです。私も「やるぞ」と覚悟を決めて、展覧会を作り上げたいと思います。

Q.最後に、アンダーソンさんの関心のあるお金の使いみちを教えて下さい。

今は2人の子どものために使うことが多くなりました。自分の両親が私のために費やしてくれたお金には、本当に感謝しています。私も感謝されたいわけではありませんが(笑)、子どもにはいろんな経験をさせてあげたいと思います。

特に私の経験からも、英語を使ってたくさん旅をしなさいと伝えたいです。いろいろな人の話を聞くことができれば、それだけ経験も増えますから。

太宰府天満宮文化研究所 学芸員  アンダーソン依里

太宰府天満宮文化研究所 学芸員  アンダーソン依里

福岡県太宰府市出身。西南学院大学で国際文化について学んだ後、太宰府天満宮文化研究所にて学芸員として勤務。その後渡英し、英語や美術について学ぶ。帰国後は田川市美術館、太宰府天満宮文化研究所に勤務。「太宰府天満宮アートプログラム」など、様々な展示の企画運営に携わる。