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なぜ地方の街は死ぬほどどうでもいい景観に成り果ててしまうのか!?

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

なぜ地方の街は死ぬほどどうでもいい景観に成り果ててしまうのか!?

【画像出典元】「bonb-adobestock.com」

mymo読者の皆様、あけましておめでとうございます。
ワタシ(中村修治)は、滋賀県彦根市の実家を昨年に解体。故郷を綺麗さっぱり捨てたと言いながら、昨年末には、お墓参りのために帰省。その時の、侘しさと憤りをまとめてみた。新年早々、失礼します!!
新・資本主義の御宅など、ホント!!死ぬほどどうでもいいわっ!?

地方都市の景観は、金太郎飴みたいじゃん!?

滋賀県彦根市は、名古屋へも、大阪・京都へも、JRで1時間以内。よくある中途半端な地方都市然とした成長(衰退!?)をしている。

南彦根駅 

ターミナル駅は、なんとも味気ないデザイン。無駄に豪華で採算の取れない体育館や公共施設が乱立。故郷の悪口を言いたくはないが、土建屋行政臭プンプンの建物がいっぱい。地元の利権と経済合理を優先すると、こういう民度の低い建物が出来上がる。誰も文句を言えない。知らないうちに、死ぬほどどうでもいい景観が出来上がっていく。

田んぼのど真ん中には、大きなショッピングセンター。国道沿いに立ち並ぶ、どこの街に行っても同じブランドの飲食店。60年前に生まれた彦根の風景を知っているワタシとしては、この景観ができあがる経緯を「街づくり」だとか「地方創生」とは、決して呼びたくない。

「創生」と言うのなら、先ずは、ワクワクやドキドキを生むことである。死ぬほどどうでもいい街に降り立った観光客や帰省する若者は、どう思うのだろうか?なぜここまで簡単に原風景を捨て去ることができるのだろうか?ロクな大人が居ない証拠である。

地方創生の大きなネックは、これから社会を背負って立つ人たちの「景観に対する無関心」であると思う。「死ぬほどどうでもいいわ」と言わせないためにどうするか?を死ぬまでに考えることが、その街の長老やリーダーたちに与えられた仕事であると考えるのだが!?

‟お金の問題”が景観の問題だ!?

1級市民の1級市民による1級市民のためのタウンミーティングが、「地方創生」の名のもとに、各地で開催されている。その会場では、県の偉い人、市の偉い人、町の偉い人、ムラの偉い人たちは、結局、国の偉い人に向けて頭を下げている。1級市民は、たいがい、自分より偉い人に頭が上がらない。バカじゃ勤まらない。だから、ちゃんとしたエリートをやっていけるのである。

街づくりなんて、昔からあまり変わっていない。参加する1級市民が多様化したくらいのことである。どうお上に報告するか?が前提である。結局、お金を出してくれるところへの承諾が必要なのである。この構造が変わるわけがない。変えられるわけがない。だから、1級市民は、自分より上の方々に頭を下げるのである。

こうやって、そこそこに賢い人たちが集まる街の地方創生は、騙し騙し前へと進んでいくのである。そんなのおかしいやん、と叫ぶバカの出る幕はない。こうやって‟死ぬほどどうでもいい景観の街”は、出来上がる。

未だに消費や金儲けが自己表現で良いのか!?

「消費」と「金儲け」が、「自己実現」や「自己表現」になってしまう。その2つの能力こそ、ヒトを評価する大きな指標になってしまった。それによる弊害が、いろんなところに、生まれている。「何を消費するか?」が自分らしさだと錯覚すれはするほど、日本の街づくりは、マーケティング通りに計画され、画一的になっていく。

マーケティングの偉い人たちは、大抵のことは予測できるとおっしゃる。そんなもんは、前例主義の総括である。市場を煽るマーケティングが優先されれば、規定通りの金太郎飴みたいな街が増える。全部が想定内で、想定通りに衰退もしていく。

そんな街づくりで良いのか?決してよろしくない。消費大国としての日本は、終焉を迎えている。「街づくり」や「教育」にも、大きくシフトチェンジする時期がやって来ている。

事務所を同じくしていたライターが人間国宝の陶芸家を取材したときの話を聞かせてくれた。その氏曰く「伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとにあるのは理にかなっている」と。

焼き物に限らず、建築・織物・塗り物など手業による工芸の技術は意外とデリケートなもので、油断すると途絶えたり、技術のコアな部分が抜け落ちたりする。だから、20年ごとの遷宮は伝承する時間として、とくに平均寿命の短い昔は適切であり、お伊勢さんに限らず、神社の祭祀というのは技術を保全する機能も持っていたのではないかという。

本当に良い街は、ビジネス的な目的でつくられることを拒むようにして、構造化され、成長していくのだ。

街は、何かを生みだしているひとりひとりのプライドが集結することによって維持され、発展するべきなのだ。「消費」させることを目的とした「街づくり」から、「生産」と「伝承」に軸足を置いた、急がず騒がずの「待ちづくり」へ。

「待てない」という日本人全体のデリカシーのなさと、「待っていたら選挙に勝てない」という政治の構造が、この日本の地方都市を‟死ぬほどどうでもいい”ものにしている。

2023年は、
最年長ライターとしてのお役目を果たす所存。
愛嬌たっぷりキレキャラで行かせていただくことにする。
本年も、どうぞよろしくたのんます。